当事者・家族の手記


荒木英子

私の息子(36歳)は、平成16年(28歳)くも膜下出血で倒れ、心肺停止、水頭症、髄膜炎・・・意識戻らず、3ヶ月過ぎた頃、主治医から「可能性は低い」と言われ大変ショックを受けました。
私達家族は、毎日病院へ通い、呼びかけ、24時間音楽聞かせたり、必死の日々でした。植物人間状態で、ベッドに寝ている息子を見て、何もしてあげられない無力さ、代われるものなら代わってあげたい。帰宅する車の中では涙で前が見えない、辛い毎日でした。
少しずつ反応が出始め、半年ぶりに奇跡が起こりました。息子の意識が戻った時、「これは医学の力ではありません。家族の愛が通じたのです。」と看護師さん達も一緒に泣いて喜んで下さいました。
でも、それからが大変な毎日でした。発熱・嘔吐の連続でトラブル続き。リハビリが思うように出来ず、平成17年11月、通院の在宅介護に入りました。町の福祉サービスを受けながら、どうなるものか、とても不安でした。
ところが、2年ぶりに自宅に帰り、環境が変わったせいか発熱もなくなり、嘔吐も止まり、平成18年4月頃には普通食が入るようになり、急激に回復に向かいました。息子はまた奇跡を起こしてくれました。
「良かった!良かった!」と喜んでいたのが何日続いたでしょうか。平成18年夏頃から息子の会話の中でちょっとおかしい?「ウン?」と首をかしげる日が続き、この頃、初めて「高次脳機能障碍」の病名を知りました。医学の発達により、命は助けて頂いても、脳障害が残り苦しんでいる患者さんが増加している状況を知りハッとしました。それまでは、息子は必ず元気になると信じてがんばってきましたので、目の前が真っ暗になりました。
何としても息子を元気にしてあげたい一心で、「ぷらむ熊本」家族会の紹介で「熊本リハビリテーション病院」に受診。院長先生にすがりつき、3ヶ月入院させて頂き、PT.OT,ST 心理学療法士の尾関先生のリハを受け(当初、発症して3年経っており、回復の可能性は低いとされていました)
少しずつゆっくりゆっくり回復に向かい、退院後は週一回の通院でリハして頂き、在宅でも必死の訓練。どんな小さな事でもクリアすると手をたたいて喜び、くり返しくり返しの毎日でした。「良くなってきてますよ!一緒にがんばりましょう。奇跡の男だから、もう一度奇跡を起こしましょう。」と先生から励ましの言葉を頂き、日々頑張っています。
現在では、毎週火曜日はプール訓練、水曜日は熊本リハビリテーション病院での訓練を受け、プールの中で一人で歩けるようになり、熊本リハビリテーション病院では片手杖をついて片手支えてあげて、何とか歩けるようになりました。
どこまで回復するか判りませんが、あせらず、あきらめず、これからも私達の挑戦は続きます。