当事者・家族の手記


「笑顔があるから・・・」

原田直美

想定外の人生の幕開けは、あまりにも突然に息子の身体に忍び寄った。
19歳を目前にした平成18年1月6日、脳動静脈奇形による右前頭葉の脳出血発症であった。医師の診断は、四肢全廃・低酸素脳症による高次脳機能障碍だった。
生死を彷徨い危険な状態から脱し、一年に及ぶ入院生活では四度の手術とリハビリ(PT・OT・ST・PSY)に耐えた。頭蓋骨の一部を外し戻るまで、気の抜けない日々は悲しみに暮れる間も与えられない程の緊迫した時を過した。

起床から就寝まで全てが訓練。記憶の代称手段としてメモリーノートを活用し、大学復学を目標にした。それは時として体力のない息子にとって、体調を崩すものとなった。「成人式には元の姿で出席させる」と、心に誓った私が無理をさせ過ぎてのことだった。

成人式には親子で参列。悲しみと喜びが交錯した。退院後は、以前のようにリハビリが受けられないことに生きる希望を絶たれる思いがした。心身ともに疲れ果て、仲間と繋がりたい私がそこにいた。

ある時、NHK熊本のテレビ番組で障がいを抱えながら歌手活動に励む親子の映像を見た。それから一ヶ月後、忘れもしない19年3月13日。一ノ瀬健さん親子との偶然な出会いがあった。デパートに着くなり、短期記憶に障がいのある息子が「テレビの人」と、私の袖を引っ張り教えてくれたのだった。
神様からのお引き合わせだと思わずにいられなかった。

これを機に家族会メンバーとなる。それからというもの、再び復学という強い想いが沸き上がり、病院・在宅リハビリは勿論、親子で行う訓練には自発性を促すために携帯電話のアラーム機能を使い、見守り行なった。買物・大学・講演会・ジム、さまざまな脳と身体のリハビリに取り組んだ一年となった。

念願の復学が許された。
復学当初、大学生活に多くの不安があった。先生方に理解いただけるか。テストはどうなるか。単位が取れるか。車椅子自走もままならない状態で、ノート確認をさせながらの教室移動。一日を終えることで精一杯のスタートだったが、息子と私は復学出来た喜びの方が大きかった。そして、いつの間にか休まず学校に行くことが私たちの目標になっていった。

学校に慣れてきた頃、サークルへ入部。仲間と共にボランティアやコンパへ行き、学生らしい時間を取り戻すことが出来た。学内には障がい学生支援室があり、学生サポーターと共に授業を受けることで自立の幅が広がった。

大学4年、オーストラリア「短期語学プログラム」を一大決心の末に申請した。その甲斐あって私の同行が認められ、留学の夢を叶える事が出来きた。そして、復学当初は考えもしなかった卒業を迎えられたのだった。三年間の大学生活は、課題に苦労しながらも学ぶ楽しさを存分に味わう事が出来た。かけがえのない素晴しい体験は、息子からのプレゼントだったのかも知れない。

卒業後、自立通学を目標に大学の科目等履修生として登録した。
JR通学訓練を復学二年目より開始し、切符購入から乗車・下車・大学までの道のりの自立をすべく、親子で訓練を重ねた。昨年5月、とうとうその日がやって来た。決断・実行、私は祈る想いで見守った。某テレビ番組の「?のおつかい」みたいに先回りしたり、尾行したり、長時間掛けて準備してきた通学の自立に漕ぎ付けたのは、息子に自信をもたらした。

「回復」は、社会との繋がりの中にあると考える。なぜなら、親子だけでは限りがあるからだ。同世代の力を借りて学び・遊び・喜びの多くを体で感じとった大学生活。現在、友人との時間・JR移動・昨年から始めたプール訓練(水泳・歩行)は、いつも沢山の支えがあってこそ続けられている環境がある。そこには、障がいに対する理解が必要になる。
家に閉じこもるのではなく、社会と繋がりあう息子であってほしい。メ見えない障害モとされる高次脳機能障害を社会全体に益々認知されていく事を切に願い、多くの当事者が社会参加出来る日を待ち望んでいる。

発症から7年目を迎えようとしている。
時として、親として守りきれなかった想いが浮き沈みする。無情にも現実を変える事は出来ない。「前を向きすぎても辛くなり、振り返りすぎても辛くなる」
だからこそ、息子の記憶と同じ、一瞬一瞬に生きる事にしている。その方が楽だから・・・。

前を向いていれば、きっと何かが見えてくると信じ、日々焦らず欲張らず、坦々とリハビリに励む息子の姿を目の当たりにし、目標・希望があるから生きる勇気・元気が湧いてくる。あれから、生まれなおし、育ちなおしの日々は多くのことを学ばせてもらっている。

不自由と引き換えに手にしたものは自由な心。
人は一人では生きていけない。支え合いの中でこそ生かされる。
これまで支えて下さった方々へ感謝すると共に、巡り合えた数々の奇跡に感謝である。

今日も家中に大きな笑い声が響く・・・
息子の笑顔は私の誇りとなっている。