当事者・家族の手記


「生きている奇跡」

一ノ瀬まゆみ

平成8年4月16日その悲劇は起きました。
高校を卒業した健(たけし)は、福岡の専門学校に通っていたその時の事です。
乗るはずのバスが目の前を通過し、そのバスを追いかけ走っていた時、息子は倒れました。
私たちのもとへ、福岡大学病院より電話があり、「危篤状態です!すぐに来て下さい!」
交通事故なのか?なぜ危篤?何が何だか分からないまま、私たちは病院へ駆けつけました。
待っていてくれた健の友人の表情を見れば、これはただ事ではないと察することが出来ました。直ぐに先生より説明があり、心臓発作で息子は倒れたらしいのです。
意識が戻る可能性が低いことを告げられ、それは死の宣告だったのかもしれません。
もし意識が戻ったとしても、植物人間になる可能性が大きいとも言われました。
しかし奇跡が起き、息子は息を吹き返したのです。

私たち家族は、元通りの元気な息子になると信じていましたが、現実は厳しいものでした。
短期記憶が出来なくなっていました。限られた面会時間に逢いに行くと、「お母さん久しぶり!」と息子は言うのです。当時気管切開をしていましたので、話すことが出来ない状態でしたが、
身振り手振りで息子の言いたいことが分かったのですが。
一日2回の面会時間には、必ず息子に会っていたのですが、「久しぶり!」と。
大きなショックを受け、主治医に尋ね、「何かおかしいのです。以前の息子ではありません。どこが悪いのですか?」幼くなり、思考力も落ちていました。
先生に尋ねると「あなた達は命だけは助けて下さいと言ったじゃないか!」
息を吹き返した事だけでも奇跡だったようです。
私たちは命が助かったのだから、元通りになると確信していたのですが、
残念なことに多くの後遺症と戦う事になったのです。

17年前 「高次脳機能障害」と言う病名さえありませんでした。
ようやく息子に病名が付いたのは、倒れて7年目の事です。
初めて聞く「高次脳機能障碍」と言う病名。それから必死にパソコンで調べ、脳に関する情報を探しました。福岡県に家族会があることがわかり早速、北九州で行われる家族会に、藁をもすがる思いで参加しました。
会場に着くと一本のビデオ放送があっていました。私はそのビデオに釘付け状態になったのです。息子と全くと言ってよいほど、同じ状態の青年が写し出されていました。
「あ??同じ病気の人がいた!」そう思ったら号泣していました。
発病して7年間ずっと疑問に思っていたことが、ようやくわかった瞬間でした。

記憶障害、注意障害、執行症、遂行機能障害とたくさん後遺症が残っていて、素人の私たちは何の解決手段もありませんでしたが、仲間がいるという安堵感に救われました。
それぞれに原因も症状も同じ人はいなく、これと言った治療法もないまま熊本県で、高次脳機能障碍の家族会を立ち上げました。生死をさまよった人ばかりで、言わず語らずとも苦しみは理解することが出来ました。本当に仲間の存在に助けられて今があります。


息子は、6年前から始めている歌の活動を頑張っています。倒れる前から好きだった歌をリハビリに、熊本県は元より県外でも歌わせて頂ける様になりました。病気が良くなったからやっている活動ではなく、あくまでリハビリの為の活動です。人前で歌う事が脳の為に良い刺激になり、目を見張るような回復をしています。私達家族も驚かされている所です。
「好きこそ物の上手なれ」と言うように、好きなことをしながら、目標や夢に向かって、
親子で前進していけたら、最高です。
現在息子は、生活訓練の為、別府の方で自立に向け訓練を受けています。
今より良くなる!そう信じながら日々取り組んでいきたいと思っています。

歌の活動のHPです。よろしければご覧ください。
http://ichinose-takeshi.web5.jp/